七つの回廊

これらは、すべて、義政の「無用な争い」を避けるための「戦術」であった。もし、義政が彼女たちと骨肉の争いをするようなことになっていたとしたなら、戦火はさらに激しいものにとなっていたことであろう。「押す」者たちばかりがぶつかっていた時代、義政のように「引く」者がいたからこそ、あれ以上の戦火にはならなかったのである。 このような戦術家であった義政が、単なる芸術家たちのパトロンとしてだけ、世間に伝わっている、というのも、おかしな話である。まぁ、もっとも、戦術家としての義政にとっては、「無能」というレッテルを張られたほうが、「動きやすかった」であろうけれども・・・・。 なるほど、これ(「無能」というレッテルを張られること)も、義政の戦術?